藤沢周平の遺作『漆の実のみのる国』を読んだ。江戸時代の米沢藩の財政構造改革を描いたものだが、現代日本にも通じるところが多く、いろいろ考えさせられた。
豊臣にくみして徳川と対立した上杉家は、徳川の時代となって大きく減封されてしまう。家臣数は昔のままであり、歳出は減らないので、当然藩の財政は苦しくなる。借金が累積してゆく。江戸中期に登場した若き藩主の治憲(鷹山)は身を挺して財政改革に取り組むが、なかなかうまく行かない。
財政改革には、今も昔も歳出減と歳入増しかない。一汁一菜の強制など徹底した倹約が行われる。一方、歳入増を図るため、漆の植樹計画がたてられるが、成果が出るまでになかなか時間がかかる。そのうちに人心が倦む。既得権が立ちはだかる。さまざまなサボタージュに遭遇し、改革はなかなか進まない。債務はどんどんかさみ、金利を支払うためにさらに借金をする事態が続く。このような話だが、まるで現在われわれが直面する問題そのものであり、読後感は何とも重たい。
一番の問題は、非生産階級である武士階級の人口が生産階級である農民の人口に比して多すぎることにあった。農民二人強で武士一人を養う人口構造だったのである。それが財政赤字と公的債務の増大をもたらし、経済構造を大きくゆがめてゆく。これは日本の近未来の姿でもある。高齢化が急速に進むなか、日本の非生産人口比率は当時の米沢藩の比率に近づきつつある。
また政府主導の産業政策の問題点も浮き彫りにされる。稲作以外の国内産業を興すために、換金作物である漆の植樹プロジェクトが、政府主導で推し進められる。生産力の向上が一番大切との認識は正しい。しかし政府の計画はなかなか期待したほどの効果をあげない。予想もしなかった品質のよい競合品が出現し、米沢の漆は大幅な値引きを余儀なくされてしまう。ビジネスにおいては価格決定は、あくまでも市場でなされる。それを忘れていた。まるで現代日本の特殊法人や公益事業のようだ。
特に印象的だったのは、改革に立ちはだかる既得権者の群だ。「一汁一菜」を上下の差別なく平等に強制されては身分制度がもたない。身分制なくして封建制度自体が機能しないと主張する。生活に困窮した足軽が、顔も隠さずに公道で運搬労働に従事するのだが、それも問題視される。こんな上杉家の「大国意識」が改革の妨げとなる。現在でも、このような既得権者による組織防衛の運動が、改革を進める上で一番の障害となっている。
しかし当時の藩のコーポレートガバナンス構造はとても興味深かった。藩の経営に対し、藩の外部、内部からのチェックが有効に機能していたことには驚かされる。サボタージュする家老達は、藩主がまとめて更迭してしまう。反対に無能な藩主は、家老達が強引に隠居させてしまうこともある。両者の間に見事な緊張関係がある。現代でも、明治以前からの長い伝統を持つ企業が少なからず残っている。こういった企業統治の伝統は大切にしたいものだ。
藤沢周平はこの小説を書きながら、現代日本のことを考えていたのではないかと思う。
橋本尚幸